決議

裁判員裁判実施の前提条件の整備を求める決議

2008年(平成20年)11月1日
和歌山弁護士会

提言の趣旨

和歌山弁護士会は、裁判員裁判の実施に当たり、充実した公判の審理を実現し、真に国民から支持される制度として裁判員裁判を定着させるために、関係各機関に対し、

1 公判前整理手続において、検察官による早期かつ十分な証拠開示、弁護人提出証拠の広汎な採用等を実現し、公判前整理手続をさらに充実させること

2 公判手続において、期日の進行等に関する弁護人の意向を尊重し、刑事訴訟法第316条の32第1項にいう「やむを得ない事由」を弾力的に運用するなどして、被告人の防御権に十分に配慮した審理、訴訟運営を行うこと

3 以上の前提条件として、
①取調べの全過程の録画(取調の可視化)、
②保釈の原則化及び夜間・休日接見の拡充、
③起訴前からの複数の国選弁護人の選任及び適正な国選弁護報酬を実現すること

を提言する。

提言の理由

第1 はじめに

裁判員裁判が平成21年5月21日より実施される。国民の司法参加により国民の常識を刑事裁判に反映させるため、訴訟関係者が裁判員にとってわかりやすい裁判を迅速に行うことは、重要なことである。
 しかし、刑事裁判は、無罪推定を受ける被告人の防御権を確保し、適正手続を全うすることが何より重要である。
 和歌山弁護士会は、裁判員裁判が実施されるにあたり、前提条件の整備が不十分な点が散見されることから、刑事裁判の基本原則に立ち戻り、適正手続の保障を全うして充実した審理がなされるようにするため、前提となる制度や条件の充実及び整備を提言するものである。


第2 公判前整理手続の充実


 裁判員裁判対象事件は、すべて公判前整理手続に付されることとなっている。
検察官手持ち証拠の開示については、類型証拠開示及び主張関連証拠開示の制度(刑事訴訟法第316条の15、同法第316条の20)が設けられ、証拠開示の範囲が従来より格段に広がったことは大きな進歩である。
 しかしながら、現在の公判前整理手続における証拠開示の状況を見れば、改正刑事訴訟法の立法趣旨を誤解しているとしか思われないような消極的な運用が散見されるところであり、検察官による証拠開示は極めて不十分であると言わざるを得ない。
 裁判員裁判では、迅速で充実した審理が求められているが、十分な証拠開示が行われないまま、短期間で審理が終結されるとすれば、被告人の反証や弾劾の機会が奪われ、被告人の防御権が著しく侵害される。それだけでなく、裁判員による公正な判断さえ損なわれる危険もある。
 従って、裁判員裁判実施までに、検察官による、自発的かつ十分な全証拠の開示が行われる運用が速やかに実現されることが何より必要である。

 次に、現在実施されている公判前整理手続において、弁護人請求証拠の採用に関し、消極的な運用も散見されるところである。
 しかし、裁判員裁判において、充実した審理を行い、裁判員がその職責を十分に果たすことができるようにするためには、有罪・無罪の判断をなすためにはもちろんのこと、量刑を判断するためにも十分な証拠が法廷に顕出されることが必要不可欠である。
 組織的な証拠収集能力に乏しく、捜査権限を有しない弁護人の請求証拠が安易に「必要性なし」あるいは「関連性なし」という理由で不採用とされる運用となれば、正当な防御活動にもとづく充実した審理は実現困難となる。これまでの書面中心の裁判の問題点は、主として検察官提出証拠によってもたらされていたのであるから、検察官と比べもともと証拠収集能力に差のある弁護人が提出する証拠は、安易に「必要性なし」や「関連性なし」という理由で不採用とせず、積極的に採用されるような運用を行うべきである。

 公判前整理手続の目的は、「充実した公判の審理」にある(刑事訴訟法第316条の2)。
 裁判員制度の公判期日を充実したものとするためには、前記1、2の改善をはかり、その前提である公判前整理手続を充実させることが必要不可欠である。


第3 公判期日の充実


 最高裁判所は、裁判員裁判対象事件について、連日開廷により、約7割を3日以内に、約2割を5日以内に、審理を終了させるとしている。
 しかしながら、たとえば3日間の審理では、1日目は午前中に裁判員選任手続を行い、午後は冒頭手続から検察官提出証拠の証拠調べまでを終了させるのが限度である。3日目は、午前に検察官・弁護人の意見の陳述を行って結審し、午後には評議・評決をし、判決文を作成して判決宣告に至らなければならない。
 そのため、実質的な審理は2日目だけしかない。しかも、裁判員裁判においては途中の休廷や昼休みの時間が比較的長時間必要であることも考慮すると、実質的な審理時間はせいぜい5時間程度しかとれないということになりかねない。単なる訴訟促進のみ追求するのは、もとより憲法の要請する迅速な裁判実現とは別であり、被告人の防御権を不当に制限する危険がある。
 はじめに審理期間ありきであってはならない。事件の性質、事案の状況によっては、当初から十分な審理期間を確保すべきである。

 公判は、本質的に流動的なものであり、時に予測困難な事態も起こりうる。また、公判前整理手続の段階では、証拠調べ請求を行うことが困難であった証拠が、その後に請求できるようになることも少なくない。
 例えば、公訴事実に争いのない自白事件であっても、公判前整理手続の段階では「示談書を提出できない」、「指定された期日に情状証人が事情で出廷できない」ことなどは弁護活動を行う上で日常的に起こりうる事態である。このような場合にまで、公判の審理計画を優先させ、また刑事訴訟法第316条の32第1項を根拠に証拠調べ請求の制限を行うことは、被告人の防御権を不当に制限することとなる。
 裁判員制度においては、事実認定のみならず量刑についても裁判員が評議に参加する以上、裁判員の面前で被告人に有利な情状立証を尽くさせる必要性は大きい。

 従って、公判期日の進行についての弁護人の意見は、最大限尊重されるべきであるし、整理手続終了後の証拠調べ請求を許容する「やむを得ない事由」(刑事訴訟法第316条の32第1項)は、検察官と弁護人の証拠収集における組織的力量・体制の差を考えれば、弁護側提出証拠については弾力的に解釈運用されるべきである。それが当事者主義を実質化し、裁判員裁判によって下された第一審判決に感銘力を与えることにも繋がるものと考える。


第4 刑事手続における前提条件の整備


 取調べ全過程の録画(取調の可視化)
 密室での取調が自白の強要に繋がり、冤罪発生の大きな原因となって来たことは今更述べるまでもない。そして、裁判員裁判において、自白の任意性が争われた場合、現状では、これを立証するための客観的証拠が存在しないため、裁判員にとって自白の任意性の判断は非常に困難なものとならざるを得ない。
 もし、このような現状が改善されないまま裁判員裁判が実施されることになれば、裁判員は、何ら客観的な証拠が与えられないまま自白の任意性について非常に困難な判断を強いられるとともに、裁判が徒に長期化し、裁判員裁判が国民の支持を得られずに機能しなくなるおそれも否定できない。
 この点、検察庁で現在ようやく試行されるに至った取調べの一部の録音・録画も、本年9月から実施されている大規模警察署管内における司法警察員の取調べの一部録音・録画も任意性の立証としては無意味である。なぜなら、自白調書が作成され、それを後から確認する過程を一部録画したとしても、逮捕直後から自白に至るまでの一連の取調べが適正になされたことの証明にはならず、自白の任意性に関する疑念は払拭できないからである。取調べを適正化し、自白の任意性を客観的な証拠に基づいて判断できるようにし、裁判員の負担を軽減するためには、取調べの全過程の録画を実現する以外に方法はない。
 よって、裁判員裁判を定着させるためには、早急に予算措置を講じてすべての警察署、検察庁に録画装置を導入し、取調べ全過程の録画を早急に実施することが急務である。

 保釈の原則化及び夜間・休日接見の拡充
 裁判員裁判では連日的開廷が予定されているが、連日的開廷を行うためには、期日までにあるいは期日間に、被告人が弁護人と打合せする時間を十分に確保する必要がある。特に公訴事実や重要な情状事実に争いがあるような事件においては、打合せの必要性はさらに増大する。
 しかし、現在の我が国では、勾留延長も半ば常態化している上に、起訴後の保釈は、自白事件でも第1回公判期日終了後までは認められにくく、否認事件にあっては証拠調べ終了後までほぼ認められないという運用がなされている。このような人質司法というべき状況が抜本的に改善されない限り、被告人と弁護人との綿密な打合せが特に必要となる裁判員裁判において、円滑かつ充実した審理を進めることは、極めて困難であると言わざるを得ない。
 従って、裁判員裁判対象事件については、法の原則に立ち戻り、保釈が広く認められなければならない。また否認事件であっても、公判前整理手続を経た後は、現実的な罪証隠滅のおそれなどは相当程度低下するのであるから、被告人の防御権確保を優先させて保釈を認める運用がなされるべきである。
 他方、逃亡のおそれが大きいことを理由に保釈が許可されない場合であっても、接見の機会と時間は十分に確保されなければならない。
現状では夜間や休日の接見が拘置所の管理上の理由で制限されることも多いが、夜間や休日においても自由に接見が行われるような態勢を整える必要がある。
 なお、和歌山県下の拘置支所や警察署では、接見室が一つしかない施設が多く、裁判員裁判の打合せのために弁護人が接見室を長時間使用することによって他の弁護人の接見が大きく制限されるという事態も予想される。 従って、接見室の増設など接見に関する設備の物的拡充を早急に図る必要がある。

 起訴前からの複数の国選弁護人の選任
 裁判員裁判対象事件は、言うまでもなく重大事件であり、従来の国選弁護事件比率に照らせば、その7割程度がいわゆる被疑者国選事件になることが予想される。捜査段階における弁護活動が重要なことは論を待たないが、否認事件では、原則として連日の接見が必要であり、弁護人による証拠収集、不当な取調べに対する法的措置の履践など勾留期間内に弁護人がなすべきことは多い。また自白事件においても、被疑者が犯情等について事実をありのまま供述し、録取してもらえるよう弁護人が適宜接見して助言を与えたり、重大事件の被害者との間で困難が予想される示談交渉に着手するなど情状のための弁護活動を早期に行う必要性も大きい。
 さらに、裁判員裁判対象事件が起訴されれば、国選弁護人は、充実した審理を行うために公判前整理手続において争点の整理等を的確かつ短期間に行い、冒頭陳述などの準備をした上で、連日的に開廷される公判期日に臨まなければならない。このように裁判員裁判対象事件の国選弁護人に選任された弁護士の任務は、誠に膨大である。
 しかも、検察官が国家予算と権限をもとに組織的に裁判員裁判に臨むことができるのと対照的に、弁護士の多くは、日常業務を行いながら弁護活動を行う個人事業主であり、低廉な国選弁護報酬と相まって、国選弁護活動に取り組む弁護士への負担の大きさは計り知れない。最高裁判所と日本弁護士連合会の申し合わせにより、裁判員裁判の実施にあたり、国選弁護人の複数選任が予定されているようであり、一定の評価はできるものの、裁判員裁判対象事件においては、否認事件、自白事件を問わず、起訴前の被疑者段階から国選弁護人を必ず複数選任する扱いがなされるべきである。

 適正な国選弁護報酬の実現
 前述のように、裁判員裁判対象事件を担当する国選弁護人の任務は膨大であり、日常的な弁護士業務に与える影響も甚大であるにもかかわらず、来たる裁判員裁判の国選弁護報酬基準も未だ明確に策定されていないのが現状である。
 日本司法支援センターが発足する前には、一般の国選弁護報酬を労力に見合った金額に増額するとの触れ込みであったが、日本司法支援センターが発足してから国選弁護報酬は以前より低廉となったという印象を持つ弁護士は少なくない。多くの弁護士が来たる裁判員裁判の担い手となるためには、前述の国選弁護人の複数選任と併せて、労力に見合った妥当な報酬基準が早急に定められることが必要である。
 また裁判員裁判では公判前整理手続における証拠開示等により、謄写を要する資料が多いことから、謄写費用全額の実費支給は不可欠というべきである。  この点、本年9月より国選弁護報酬基準の若干の引上げがなされたが、まだまだ不十分である。
裁判員裁判の実施に向け、多くの弁護士を国選弁護人として確保し、充実した訴訟活動を実現するためには、労力に見合った適正な金額となるように、抜本的な報酬基準の見直しがなされなければならない。


第5 結語


 当会は、裁判員裁判において充実した審理を実現し、裁判員裁判を真に国民から支持される制度として定着させるため、以上のとおり、総会決議をもって関係各機関に提言する次第である。